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「探偵の秋あるいは猥の悲劇」

岩崎正吾の「探偵の秋あるいは猥の悲劇」を読んだ。これは「探偵の四季」シリーズのうちの2作目で、1作目は「探偵の夏あるいは悪魔の子守唄」という。「悪魔の子守唄」は、もちろん横溝正史からとっているし、「Yの悲劇」はエラリー・クイーンの作品である。つまり、過去の名作の本歌取りになっている。
「Yの悲劇」はエラリー・クイーンの作品だが、最初はバーナビー・ロス名義で出された別のシリーズだった。探偵はドルリー・レーンという往年の名優。年をとって、耳が不自由、という設定。「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「レーン最後の事件」という4部作になっている。
ここからはネタバレなので、もしこれらを読むつもりならば、この先は読まないように。
エラリー・クイーンは、探偵エラリー・クイーンのシリーズを書いていたが、あるとき「名探偵自身が犯人だったらどうだろう」と考えた。とはいえ、せっかく作り上げたエラリー・クイーンを犯人にして終わりにしてしまうのも困る。そこで何作か探偵として活躍させて最後に犯人役をやらせる、それだけのための探偵を作り上げた。それがドルリー・レーンである。つまりXからZまでは探偵として活躍させる。そして最後の事件で犯人とするのだが、これを解き明かすための探偵が必要なので、Zで若い探偵役の女性を登場させる。XからZは前置きのような扱いだが、どれもよくできている。特に「Yの悲劇」は傑作である。子供が犯人であるという設定は当時は画期的だった。「レーン最後の事件」では現場の状況が犯人の耳が聞こえないことを示唆しているところからレーンが犯人であることが分かるという展開。
「探偵の秋あるいは猥の悲劇」は耳の聞こえない旅芸人が出てきたり、怪しげな子供が出てきたり、探偵役の女性が出てきたり、このドルリー・レーン4部作の状況を上手く作品に取り込んである。この4部作を知っているとかえって犯人が分からなくなってしまうというミスディレクションが仕組まれていて、大変、よくできた作品であった。

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[2001-04-03]