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「マークスの山」

高村薫の「マークスの山」を読んだ。直木賞になったこともあって、かなり気になっていたが、なかなか文庫化されなかったので、読んでいなかった。今回、文庫化されて読むことになった。
「高村薫待望論」というのがあるらしい。週刊誌か何かの広告で読んだと思うのだが、つまり、最近のミステリーはつまらないので、最近、新作を出していない高村薫にがんばってもらいたい、というようなことだと思う。
高村薫は評判のよい作家であるにもかかわらず、寡作であり、文庫化されている作品も少ない。私は「文庫主義」であるので、よほどのことがない限り、文庫しか読まないため、必然的に高村薫を読む機会は少ない。
唯一読んだことがあるのは「黄金を抱いて翔べ」という作品。確か、彼女のデビュー作であったと思う。何かの賞をとったこともあり、かなり期待して読んだが、駄目だった。
そして「マークスの山」。かなり期待して読んだ。やはり駄目だった。ひどく読みにくい本であった。
登場人物、特に主人公の心情の描き方がくどい。できれば、小さい文字で印刷してほしいところだ。とばして読むから。
また「警察」と「検察」とか、「虎ノ門」と「霞ヶ関」とか、こういうのもうっとうしい。「学生運動」というのもうっとうしい。「戦争を知らない子供たち」にとっては「学生運動」というのは大事なのだろうが、私たちは「学生運動を知らない子供たち」なのだから、まったく興味がない。そろそろ、いい加減にしてほしい。無駄な性描写も要らない。「黄金を抱いて翔べ」でも、突然、ホモが登場して、閉口した。
と、ここまで、めちゃめちゃにけなしたところで、最後に一言。
「隠微」という言葉が頻繁に出てくる。「隠微」というのはそれほど一般的な言葉ではないと思う。この本を読んで違和感を感じたくらいだから、「隠微」という言葉を他の書物で見たことがないはずである。「隠微」は作者の好きな言葉だと思われる。それはそれでいい。しかし、文中の登場人物の「遺書」にもこの言葉が出てくるのはどうか。作中の「告白」、「日記」、「手記」などは、それを書いた登場人物の言葉で書かれるべきだ。
そもそも、真相の解明を遺書で行わせるなんて、手抜きではないか。やはり、真相の解明は、登場人物全員を一室に集めて、行うのが王道であろう。
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